連載 「新しき医療を求めて」
連載 第六回 「先が見えない」
先が見えない
出向から戻り、再び第二内科での診療、研究に励む毎日が始まった。研修医の頃は、新しいことを覚えるのが精一杯であったが、4年目ともなると、少しは周りが見えるようになっていた。
仕事もだいぶ自分で考えてできる部分が増え、心身ともに充実していたが、その反面、病院で行われている医療の実態に対する違和感が少しずつ私の中で大きくなっていった。
症状や一部の原因物質をとらえ、それを抑える対症療法が妥当とされていること、薬を飲んでもいっこうに良くならず、それでも一生薬を処方され飲み続けること、病気が進行してしまってから受診し、痛みや不安、経済的負担や家族の心労を抱え苦しむ方々の姿を見る度に、虚しさと危機感を感じていた。
これでは根本的な治癒を得ることはできない、それでいいのだろうか、何か他に方法はないのだろうかと自問自答を続け、とうとう私は何のために医師になったのだろうとまで思うようになっていた。
もちろん、実際の臨床現場で、高度な技術により病変部を診断し手術をしたり、救急疾患に対して集中治療を行ったりして生命の危機を乗り越えた方々もみていたし、現代医療による治療が必要な場合もあることもわかっていた。
しかしその一方で、多くの慢性疾患に関しては、症状や病気が進行し検査で見つかる状態になってからでないと診断できない、また診断後は対症療法を行うという現実に自分の医師としての無力さを感じたのである。
そして私は、これ以上、現代医療の世界で医師を続けることに希望を持てなくなり、悩んだ末に意を決してT教授のもとへ行き、
「辞めさせて下さい」とお願いした。
「どうしてそう思ったの?」と聞かれ、私は精一杯自分が思うことを答えた。
するとT教授は、非常に理解を示して下さった。
「やめてどうしたいの?」と問われて、
「これから考えます。」と応えた。実際、辞めたいという一心で、自分がどのような医療に携わりたいのか全く具体的な考えがなかったのである。
T教授は
「まあ、3ヶ月考えなさい。皆にはこのことは内緒にしておきますから。」と言って下さった。その後、色々な方に相談しながらどうするべきか悩み、考えた。
そして、結局私は今やめても何にもならない、もっと広く目を開き、心を柔軟にして大学で学ぼう。そして将来は、海外へ留学しもっと成長したい。と思えるようになった。
ある夜、夢を見た。夢でT教授が泣いているのである。
私は翌朝、教授室へ向かった。今回の私の浅はかさを謝り、今後もご指導頂けるようお願いした。T教授はとても心配して下さっていた様子で、快く受け入れてくださった。あの時、私にもう少し考えるよう猶予を下さった先生には今でも感謝している。辞めていれば、今の私はない。