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連載 「新しき医療を求めて」

連載 第七回 「指導医になって」・「出会いと決断」

指導医になって

5年目には助手となり、病棟では指導医という役目を与えられた。

病棟の医師たちは、いくつかのグループに分かれて患者様を担当する。指導医はそのグループの責任者であり、研修医やその他の後輩医師の指導に当たる。また病棟を回ってくる学生の教育係でもあった。その傍ら、研究活動もする。

今までは、フットワークよく自分が動き、教わり、学ぶという姿勢でよかったが、今度は自分が動けばよいという次元だけではなくなっていた。

今思い返すと、未熟さゆえにうまく対処できなかったことも多々ある。それでも、同じ過ちは二度と繰り返すまいということはいつも頭において、失敗したことを次に活かすことを心がけていた。

このように、臨床・研究・教育という大学病院の役割の一部をこなす毎日のなかで、指導医としての責任を果たしながらその一方で、「私は医師として、このままの状態を続けていていいのだろうか。何かが足りないような気がする。」という、漠然とした不安を抱くようになっていた。

仕事だけではなくプライベートでも、ショッキングな出来事が重なり、道を歩けば痴漢にあうといった、何やら喜ばしくないことがたて続けに起こり、私は心身ともに疲れ果て、なんで自分がこんな目にあわなければいけないのか、と人を恨んだり、過去のことを悔やんだりすることにエネルギーを費やしていた。

出会いと決断

丁度その頃、思いがけないご縁で、気練武心道道主、風間健先生と出会うことができた。

早速私は道場へ見学に行き、入門させてくださいとお願いした。先生に、なぜ入門したいのかと聞かれ、私は「心を強くしたいのです。今、色々いやなことが起こっているのは私の心が弱いからではないかと思います。」と答えた。

先生は、「そう思っている人には、この道場は最適である。ただ単についたり、けったりという技が強くなりたいなら他へ行けばいい。」

そうして、私の道場へ通う日課が始まった。

その一月後、私が6年目の9月に、T教授から来年アメリカへ留学し、老化とホルモンについて学んでこないかというお話を頂いた。アメリカ同時多発テロの直後で、医局員がアメリカでの学会をキャンセルしていた頃である。/p>

私は、その場ですぐに「はい、宜しくお願いします。」と返事をしていた。頭で考えて返事をしたというのではなく、何かに突き動かされていたように思う。

直感で、今の自分を打破し何かをつかむにはこれだ!という気がしたのである。そうすれば、何かが足りない、という私の漠然とした不安も払拭できるとも感じていた。

しかし、留学を本当に決心するまでには、しばらく時間がかかった。教授にお願いをしたにもかかわらず、後から色々なことが気になり始め、内心かなり当惑していたのである。

研究所で自分の技量が通用するのか、今から何を勉強していけばいいのか、家は、車はどうすればいいのか、等まだ見ぬ異国での研究生活にたとえようのない不安を抱え、ともすると押しつぶされそうになっていた。

また、もともと研究室で実験をするよりも、医療の現場で患者様と接している方が好きでやりがいを感じられたことも、私の迷いを大きくしていた。

そのような中、仕事以外の時間は殆ど道場に通うようになっていた。自然と足が向いてしまうのである。道場で2時間集中して体を動かしていると、自分の中のこだわりや人を恨む気持ち、迷い、あせり、不安も汗と共に出ていくように感じた。

そしてあるとき、ふと思ったのである。「自分に起こることの全ては、いいことも悪いことも自分の心が招いていることなのだ。」

そう気付いた瞬間から、心が軽くなった。

また、動きや間合いのとり方、先生の講話を通して、今までの自分の生き方を反省することができた。仕事の後に同僚と飲みに出かけることも多かったが、道場に通い始めてからはお酒を飲みたいと思わなくなった。

護身術も身につけ、以前は夜道を歩くのが怖くてしかたがなかったが、全く心理状態が変わってしまい、「くるなら来なさい。」というくらいの勢いで歩くようになった。おかげで、それ以来一切、いやな思いをすることがなくなった。

こうして、徐々にアメリカ行きへ向けて心身の準備、覚悟ができていった。

連載 「新しき医療を求めて」 ~Dr.エミーナの医療革命~

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